受講料の返還条件|労基法16条の線と誓約書の決め方
高額な講習の費用を会社が出した3か月後に、その社員が退職を申し出た。「あの費用は返してもらえないのか」という話になりますが、取り決めが無ければ請求の根拠がありません。
費用の返還は、労働に関する法律との関係で慎重な扱いが必要な領域です。この記事では、受講料の返還条件について、対象にする費用の線引き、同意の取り方、管理のしかたを整理します。制度として設ける場合は、必ず専門家に確認したうえで運用してください。
この記事の内容(11項目)
- 返還の取り決めは、慎重に扱う領域
- まず、本当に必要かを考える
- 目的を、はっきりさせておく
- 取り決めが無い場合は、請求しない
- 対象にする費用を、金額と性質で絞る
- 必須の資格に、返還を付けない
- 金額の下限を決める
- 本人の希望かどうかを、申請時に記録する
- 決めておく項目は4つ
- 期間は、長くしすぎない
- 按分の考え方を、明示する
- 対象外の場合を、必ず書く
- 同意は、申請のときに取る
- 条件を、申請の様式に印刷しておく
- 口頭の説明だけで済ませない
- 本人が断れる形にする
- 就業規則との整合も確認する
- 1件ずつ、期間と残額を管理する
- 満了日で並べ替えられるようにする
- 同意書が無い件を、区別する
- 退職の手続きに、確認を1行入れる
- 実際に退職の申し出があったときの進め方
- 請求しないという判断もある
- 賃金から一方的に差し引かない
- 判断の理由を、記録に残す
- 返還制度に頼らずに、費用を活かす
- 受講した内容を、社内に残す
- 資格を活かせる仕事を用意する
- 選ぶ段階から、外部研修の中身を見る
- 受講料の返還にかかわる最近の動き(2026年10月時点)
- 受講料の返還に出てくる用語
- 受講料の返還と一緒に押さえておきたいこと
- 受講料の返還の判例は、業務性と本人の選択で分かれている
- 受講料の返還の誓約書・契約書に書いておくこと
- 受講料の返還より先に、本人が給付金を使う形を考える
- よくある質問
返還の取り決めは、慎重に扱う領域
この記事は一般的な考え方と実務の型を整理したもので、個別の可否を判断するものではありません。制度として設ける場合は、社会保険労務士や弁護士に自社の規程を確認してもらってから運用してください。
まず、本当に必要かを考える
返還の取り決めを作ると、事務が増え、揉める余地も生まれます。金額が小さい費用にまで適用すると、割に合いません。対象を絞れるなら、そもそも制度を作らないという選択もあります。
目的を、はっきりさせておく
費用を回収することが目的なのか、辞めにくくすることが目的なのかで、制度の性格が変わります。後者は、法律上の問題になりやすい方向です。目的を確認したうえで設計します。
取り決めが無い場合は、請求しない
事前の取り決めが無いのに、退職の際に返還を求めると、トラブルになります。取り決めが無いなら、そのときは請求しないと割り切り、次から制度を整えます。
対象にする費用を、金額と性質で絞る
すべての教育費を対象にすると、管理が回りません。金額の大きいものと、本人の希望によるものに絞ります。
| 費用の性質 | 返還の対象にするか | 理由 |
|---|---|---|
| 業務に必須の資格・特別教育 | 対象にしない | 会社の業務のための費用と見られやすい。特別教育は事業者に実施の義務がある(労働安全衛生法第59条3項) |
| 会社が命じた研修 | 対象にしない | 同上 |
| 本人の希望による高額な講習 | 検討の余地がある | 本人の利益になる部分が大きい |
| 少額の受験料、テキスト代 | 対象にしない | 管理の手間に見合わない |
必須の資格に、返還を付けない
会社の業務のために取らせた資格まで対象にすると、本人にとっては受けるほど不利になります。結果として、必要な資格の取得が進まなくなります。
金額の下限を決める
1件10万円以上、といった線を決めておくと、対象がはっきりします。少額のものまで管理すると、事務のほうが高くつきます。
本人の希望かどうかを、申請時に記録する
あとから「会社に言われて受けた」「自分から希望した」で食い違います。申請の様式に、どちらかを書く欄を作ると、経緯が残ります。制度の作り方は資格取得支援の運用にまとめています。
決めておく項目は4つ
あいまいなまま運用すると、その都度もめます。次の4つを、文章で決めておきます。
| 決めること | 書き方の例 |
|---|---|
| 対象の費用 | 1件10万円以上で、本人の希望により受講したもの |
| 返還を求める期間 | 受講の終了から2年以内の自己都合退職 |
| 返還する額 | 在籍期間に応じて按分する |
| 対象外とする場合 | 会社都合の退職、業務上の理由による退職など |
期間は、長くしすぎない
返還を求める期間が長いほど、退職の自由を制限する性格が強くなります。短めに設定するほうが、制度としての性格がはっきりします。年数の妥当性は、専門家に確認してください。
按分の考え方を、明示する
「全額返還」とすると、退職の直前まで働いた人も、直後に辞めた人も同じ扱いになります。在籍した期間に応じて減っていく形にすると、説明がしやすくなります。
対象外の場合を、必ず書く
会社都合の退職、健康上の理由による退職など、本人の意思とは言えない場合を対象外にすると決めておきます。ここが無いと、制度そのものが硬直的になります。
同意は、申請のときに取る
あとから返還を求めると、「聞いていない」という話になります。費用を出す前に、書面で確認します。
条件を、申請の様式に印刷しておく
別紙で渡すと、読まれないまま署名されます。申請書の中に条件を書いておくと、目に入ります。
口頭の説明だけで済ませない
説明したかどうかが後で分からなくなります。説明した日と、説明した人を記録に残します。
本人が断れる形にする
条件に納得できない場合、受講しないという選択があることを伝えます。断れない状況で同意を取ると、同意の有効性そのものが問題になります。
就業規則との整合も確認する
個別の同意書だけでなく、就業規則や賃金規程との整合が取れているかを確認します。ここは専門家に見てもらう部分です。
1件ずつ、期間と残額を管理する
制度を作っても、いつ誰の返還期間が終わるかを追えていなければ運用できません。1件1行で管理します。
| 持たせる列 | なぜ要るか |
|---|---|
| 氏名、受講した講習 | 誰の、何の費用か |
| 会社が負担した額 | 返還の計算の元 |
| 受講の終了日 | 期間の起算日 |
| 返還期間の満了日 | いつまで対象か |
| 同意書の有無と日付 | 根拠があるか |
| 現在の返還対象額 | いま辞めた場合の金額 |
満了日で並べ替えられるようにする
期間が終わった件は、管理の対象から外れます。満了日で並べ替えれば、いま対象になっている件だけが残ります。
同意書が無い件を、区別する
制度を作る前に費用を出した件には、同意がありません。同意書の有無を列で持つと、請求できる件とできない件が分かります。
退職の手続きに、確認を1行入れる
退職の連絡が来たときに、この表を見る手順を入れておきます。あとから気づいても、手続きが終わっていると動きにくくなります。費用の集計は教育研修費の予算で扱っています。
実際に退職の申し出があったときの進め方
制度があっても、機械的に請求すると関係が悪くなります。順番を決めておきます。
| 順 | やること |
|---|---|
| 1 | 同意書があるかを確認する |
| 2 | 退職の理由が対象外に当たらないか確認する |
| 3 | 返還対象額を計算する |
| 4 | 請求するかどうかを、会社として判断する |
| 5 | 本人に説明し、支払いの方法を相談する |
請求しないという判断もある
制度があっても、金額や事情によっては請求しないという判断ができます。機械的に運用すると、在職者の受け止め方にも影響します。
賃金から一方的に差し引かない
賃金は全額を支払うことが原則とされ、法令の定めか労使協定がなければ控除できません(労働基準法第24条1項)。最後の給与や退職金から勝手に差し引く扱いは、この点で問題になりやすい方法です。支払いの方法は、本人と相談して決めてください。ここも専門家に確認する部分です。
判断の理由を、記録に残す
請求した件と、しなかった件で扱いが違うと、あとで説明を求められます。判断の理由を残しておくと、一貫性が保てます。
返還制度に頼らずに、費用を活かす
返還の取り決めは、あくまで最後の備えです。それより、辞めない環境と、費用が無駄にならない仕組みのほうが効きます。
| やること | 効き方 |
|---|---|
| 受講後に社内で共有させる | 1人ぶんの費用で、複数人に効果が広がる |
| 取得した資格を、業務で活かす | 本人の定着につながる |
| 1人に集中させない | その人が辞めても技能が残る |
| 資料と動画を社内に残す | 受講者が辞めても内容が残る |
受講した内容を、社内に残す
受講者に社内で共有する場を持たせると、その人が辞めても内容は社内に残ります。返還を求めるより確実な回収のしかたです。
資格を活かせる仕事を用意する
費用を出して資格を取らせたのに、その資格を使う仕事が無ければ、本人は他社で活かそうとします。取らせる資格を業務から逆算して選ぶと、この問題が起きにくくなります。
選ぶ段階から、外部研修の中身を見る
効果の薄い研修に高額を払うと、返還の有無に関わらず損失です。申込前に到達目標と総額を確認するほうが先です。見方は外部研修の選び方にまとめています。
受講料の返還にかかわる最近の動き(2026年10月時点)
受講料の返還を直接決めた法令の改正は、2023年から2026年の間にはありません。受講料の返還の考え方は、労働基準法第16条と裁判例の積み重ねで決まっています。そのうえで、確かめられた動きを日付順に並べます。
| 時期 | 出来事 | 受講料の返還への影響 |
|---|---|---|
| 2024年6月20日 | 内閣官房内閣人事局の公務員関係判例研究会が、研修費用返還請求事件(東京地裁令和3年12月2日判決)を取り上げた。研修が主として使用者の業務として行われたとして、5年以内の自己都合退職で費用を返す約束を、労働基準法第16条に反し無効とした判決 | 本人が応募した研修でも、研修先や内容を会社が決め、業務の性格が強ければ、返還の約束は無効とされうる |
| 2024年10月1日 | 教育訓練給付金の拡充。この日以降に受講を始めた人は、専門実践教育訓練で最大で受講費用の80%、特定一般教育訓練で最大50%まで給付率が引き上げられた(条件と上限あり) | 本人の希望による講習なら、本人が給付金を使って受講し、会社は別の形で支える選択肢がある |
| 2025年10月1日 | 雇用保険の教育訓練休暇給付金が始まった。就業規則などに基づいて連続30日以上の無給の教育訓練休暇を取る人が、一定の条件で給付を受けられる | 長期の講習を、会社の費用ではなく休暇と給付で支える形も取れるようになった |
受講料の返還で押さえたいポイントは、返還の約束が有効かどうかは、書面の名前ではなく、研修の業務性と本人の自由な選択で判断されていることです。
出典:公務員関係判例研究会 令和6年度第2回会合 議事要旨(内閣官房内閣人事局)、令和6年10月から教育訓練給付金を拡充します(厚生労働省)、教育訓練休暇給付金(厚生労働省)、労働基準法(e-Gov法令検索)
確認日は2026年10月3日です。返還の約束の有効性は所轄の労働基準監督署か社会保険労務士・弁護士に、給付金はハローワークにご確認ください。
受講料の返還に出てくる用語
受講料の返還の話では、法律の言葉と社内の書類の名前が混ざって出てきます。出どころと一緒に並べます。
| 用語 | 意味 | 出典 |
|---|---|---|
| 違約金・損害賠償額の予定 | 労働契約を守らなかったときに払う額を前もって決めておくこと。使用者が労働者と結ぶことは禁じられている | 労働基準法 第16条 |
| 金銭消費貸借 | お金を借り、同じ額を返すと約束する契約。受講料を「貸した」と扱う取り決めの根拠になる | 民法 第587条 |
| 返還免除の特約 | 一定期間勤めれば返さなくてよい、とする取り決め | 法令上の定義はない |
| 業務性 | 研修が会社の業務として行われた度合い。裁判例は、参加の自発性、内容の決定への会社の関与、本人の利益などから判断している | 法令上の定義はない(内閣人事局の判例研究会資料) |
| 賃金の全額払い | 賃金は全額を支払うのが原則で、控除には法令の定めか労使協定が要る | 労働基準法 第24条1項 |
| 誓約書・同意書 | 返還の条件に本人が同意したことを示す社内の書類 | 法令上の定義はない |
| 教育訓練経費(教育訓練給付) | 給付の計算の元になる、本人が払った入学料と受講料。会社から受講料に充てる手当などを受けた場合は、その額を差し引いて申請する | 厚生労働省「教育訓練給付金」リーフレット |
受講料の返還で取り違えやすいのは、「貸付」と書けば有効になるわけではないことです。業務に必要で本来会社が負担すべき費用は、貸付の形を取っても違約金の定めと見られると、厚生労働省の研究会資料でも整理されています。
受講料の返還と一緒に押さえておきたいこと
受講料の返還を調べると、判例の紹介や、退職時に請求できるかどうかの解説が多く出てきます。制度を作る側から見て、あまり書かれていない点を3つ挙げます。
受講料の返還の判例は、業務性と本人の選択で分かれている
受講料の返還の判例を並べると、結論は分かれています。内閣人事局の判例研究会資料に載っている主な裁判例は次のとおりです。
| 裁判例 | 内容 | 返還の請求 |
|---|---|---|
| 長谷工コーポレーション事件(東京地判平成9年5月26日) | 海外の大学院への留学費用。金銭消費貸借の成立を認めた | 認めた |
| 新日本証券事件(東京地判平成10年9月25日) | 留学費用。就業規則の返還条項を労働基準法第16条違反で無効とした | 認めなかった |
| 富士重工業事件(東京地判平成10年3月17日) | 企業での海外研修。業務の費用は本来会社が負担すべきとした | 認めなかった |
| 野村證券事件(東京地判平成14年4月16日) | 留学費用。実質は貸付で、同条に違反しないとした | 認めた |
| コンドル馬込交通事件(東京地判平成20年6月4日) | タクシー乗務員の第二種免許の取得費用。費用は本来個人が負担すべきもので、2年の免責期間は不当な拘束とは言い難いとした | 認めた |
| 研修費用返還請求事件(東京地判令和3年12月2日) | 海外の機関への派遣研修。主として使用者の業務として行われたとした | 認めなかった |
分かれ目は、研修が本人の自発的な希望によるものか、研修中に業務の指示を受けていないか、内容が今後の勤務に不可欠なものでないかです。この3つは、厚生労働省の研究会資料(2005年)が判断の基準として挙げたものと重なります。
受講料の返還の誓約書・契約書に書いておくこと
受講料の返還の誓約書や契約書には、上の「決めておく項目は4つ」に加えて、受講料を会社が貸し付けること、返し方は労働契約とは別に決めていること、一定期間勤めれば返済を免除することを書いておきます。行政解釈でも、返還の方法が労働契約の履行と無関係に定められ、勤務した場合に返還を免除するにすぎない純然たる貸借なら、同条に抵触しないとされています。あわせて、在籍期間に応じて返還額が減ること、賃金から控除しないことも書きます。最終的な文案は、社会保険労務士か弁護士に確認してもらってください。
受講料の返還より先に、本人が給付金を使う形を考える
本人の希望による講習で、厚生労働大臣の指定を受けた講座なら、本人が受講料を払って教育訓練給付金を受ける形が取れます。会社が受講料を補助した場合は、その額を差し引いて申請することになるため、会社が全額を出して返還の約束を付けるより、本人の給付金と会社の補助を組み合わせるほうが揉めにくい場合があります。どちらにするかは、給付の対象講座かどうかをハローワークで確かめてから決めます。
よくある質問
- Q. 会社が負担した受講料を、退職時に返してもらうことはできますか?
- 内容によっては労働基準法上の問題になる可能性が指摘されている領域です。とくに、業務命令で受けさせた研修の費用や、実質的に退職の自由を制限する内容は無効と判断される可能性があります。制度として設ける場合は、社会保険労務士や弁護士に自社の規程を確認してもらってから運用してください。
- Q. どの費用を返還の対象にすべきですか?
- 業務に必須の資格や特別教育、会社が命じた研修は対象にしないことをおすすめします。会社の都合で取らせたものまで対象にすると、本人にとっては受けるほど不利になり、必要な資格の取得が進まなくなります。検討の余地があるのは、本人の希望による高額な講習に限られます。
- Q. 取り決めが無い場合でも、請求できますか?
- 事前の取り決めが無いのに退職の際に返還を求めると、トラブルになります。取り決めが無いならそのときは請求せず、次から制度を整えることをおすすめします。制度を作る前に費用を出した件は、同意書の有無を管理表の列で区別しておくと判断できます。
- Q. 同意はいつ取ればよいですか?
- 費用を出す前、申請のときに書面で取ってください。あとから返還を求めると「聞いていない」という話になります。条件を別紙で渡すと読まれないまま署名されるため、申請書の中に条件を印刷しておくと目に入ります。あわせて、条件に納得できない場合は受講しないという選択があることも伝えてください。
- Q. 最後の給与や退職金から差し引いてもよいですか?
- 賃金は全額を支払うことが原則とされ、法令の定めか労使協定がなければ控除できません(労働基準法第24条1項)。一方的に差し引く扱いは、法律上の問題になりやすい方法です。支払いの方法は本人と相談して決めてください。この点についても、事前に専門家へ確認しておくことをおすすめします。
- Q. 制度があれば、必ず請求しなければいけませんか?
- 金額や事情によっては請求しないという判断ができます。機械的に運用すると、在職している人の受け止め方にも影響します。ただし、請求した件としなかった件で扱いが違うと後で説明を求められるため、判断の理由は記録に残しておいてください。
- Q. 返還制度を作らずに、教育費を無駄にしない方法はありますか?
- 受講者に社内で共有する場を持たせることをおすすめします。1人ぶんの費用で複数人に効果が広がり、その人が辞めても内容は社内に残ります。あわせて、取らせる資格を業務から逆算して選び、その資格を活かせる仕事を用意しておくと、本人の定着にもつながります。
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